ゴミ屋敷と化した実家を見る時、私たちは時に「これは本当に愛情なのか」と疑問を抱くことがあります。特に母親がその中心にいる場合、家族は複雑な感情に苛まれます。もしかすると、ゴミ屋敷化の裏には、母親なりの愛情表現が、形を変えて現れている可能性も考えられます。しかし、その愛情は、家族にとって負担となり、関係を歪めてしまうことがあります。母親が物を溜め込む背景には、「子供たちに不自由な思いをさせたくない」「いつか役に立つかもしれない」という、一見すると愛情とも取れる感情が潜んでいることがあります。例えば、子供が独立した後も、子供が使っていた物を捨てずに大切に保管しておく、あるいは、子供が将来困らないようにと、大量の食料や日用品を買い込んでおくといった行動です。これらは、母親が子供を思うがゆえの行動ですが、過度になると家を埋め尽くすゴミとなり、生活空間を圧迫します。このような行動は、子供への強い依存心や、子供を自分の手元に留めておきたいという無意識の願望の表れであることも考えられます。子供が成長し、親元を離れることに対して、母親が寂しさや喪失感を覚えるのは自然なことです。しかし、その感情が極端になると、物が子供の代わりとなり、物で家を満たすことで心の隙間を埋めようとする心理が働くことがあります。この場合、物は愛情の代替物として機能し、母親自身の心の安定を保つための手段となっていると言えるでしょう。また、母親が過去の経験から「物に囲まれていることが豊かさの証」と認識しているケースもあります。特に、戦後や高度経済成長期を生きてきた世代の母親の中には、物が不足していた時代を知っているがゆえに、物を捨てることに強い抵抗感を持つ人が少なくありません。物を多く所有していることが、家族への愛情や豊かさの証だと無意識に考えてしまい、結果として家の中に物が溢れかえる状況を生み出してしまうのです。しかし、これらの愛情表現は、時に子供たちにとって重荷となります。物の山に埋もれた家で暮らすことは、子供たちに精神的なストレスを与え、生活の質を著しく低下させます。
ゴミ屋敷問題から見る母親の愛情表現の歪み